あの占い師さんの読みは…!
「タロットが読めるようになるでしょうか?」という質問に対する、あの占い師さんの解説では「心が細やかで優しい」「努力家」が構造上の条件となっていて、その結論である答えの部分が「読めるようになる」に当たる。 だが「心が細やかで優しい」事と「努力家」の部分は「読めるようになる」とは直接関係は無い。だから、いきなり「読めるようになる」という答えが前提条件無しで導き出されてくるわけで、これをそのまま読んでみろと言われても全く理解のしようがない。
どうしてこうなるのかと言うと問題は、この手の質問者の質問自体が始めから2つ以上の内容を含んでいることが多い点にある。つまり、「読めるようになるか」の部分の質問と「当たるようになるか」の2つである。
この2つは全く別次元の話しであり、世界が異なる。この占い師さんは実力もあり、独自の哲学も持っている。つまり王道を行く正統派である。
「占いは、当てモノでは無い」ゆえに「当てモノは、占いでは無い」そして「当てモノは、占いより次元が低い」となるわけで結論的にタロットは誰にでも読めるという答えをはじめから持っている。つまり、どんなカードが出てきても「読める」という答えを前提として持っており、逆位置等の悪いカードが出てきても、装飾和音的に響きが違うだけで、同じ答えになる。 ある意味では、このタロット占者は全くカードを読んではいない。そのため装飾和音である、カードの意味についての説明や、図柄についての説明が延々と続くことになるわけである。その事自体は全く正しい。つまり、正論である。
箱庭療法という心理療法をご存知だろうか? 易やタロット等を使用するユング派心理学以外にも、音楽とか絵とか…何かを表現させる心理療法では、表現された内容で心の問題を把握したり、治療のツールにしている。だから、タロットを読む事で様々な恩恵を手に入れることが出来るわけであり、社内での立場についての悩みの解決からはじまって、カードからイメージされる象徴によって、新しいエネルギーを得たりとか…色々な応用法が考えられるわけである。この人生をよりよく生きよう! という意味合いからすれば、タロットは誰にでも読めて当然であり、その恩恵を積極的に生活に採り入れることのほうが、単なる当てモノなどよりもはるかに大切である。つまり、タロットは誰にでも読める。
だから、このタロット占者の方は、最初の質問である「読めるようになるか」については、「読めるようになる」という答えを出し、後の質問である「当たるようになるか」については、この質問自体を意識的に無視して、その回答を拒絶しているわけである。
「読める」と「当たる」は、全く別次元であり、読めても当たりはしない。構造が全く異なるからである。世界が違う以上、問題点も全く別であり、サイド・エフェクト(副作用)も強烈になる。だから、「当てる」ことの問題性をはじめに触れておかなければならない。
その問題というのは…

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