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2006年12月11日 (月)

東洋哲学的

経営者が感覚的に理解している現実とは、東洋哲学的発想に根があると言ってもよい。

この究極の状況は教科書的に選択肢が限られてもいないし、状況自体、「満ちれば欠ける」という特性があるはずだ! (時系列によって変化する)という感覚が根底にある。

様々な条件が積み重なって来て、この状況になった。だから、その内の条件のひとつでも変わってしまえば、もう「囚人のジレンマ」の状況ではなくなってしまう。

交渉方法としてAであれば10,000円、Bなら15,000円として、強気に出たら、弱気に出たらと、いろいろマトリックスを描いてプランを立てても、そもそもの交渉の必然性自体も、その夜、遠い親戚が大口の出資を提供してくれる事が決定したとか、よりよい取引先と縁を結んでくれたとかで、消し飛んでしまう事も多いし、悪く出れば、全く関係ない他の大口取引先が倒産してしまい、会社の存続自体が困難になってしまうといった具合に、教科書のように「作為的な状況や選択肢だけが現実である」と限定することには所詮無理がある。

それは、最初に問題を創ってしまっているからでもある。

だから、その問題に対する解も最初から用意されているというわけだ。

今の学校教育の弊害でもあり、現実にはたいして役には立たない。

で、そこまでの事は考えるだけ無駄、今ある状況に専念し、努力しようと思うのが普通だが、残念な事に結果は戦略とは無縁になってしまったりする事も多い。

プロセスが重要という考え方も成り立つが、経営は結果がすべての世界である。

だから、理屈のわかったような顔をして、経営幹部や若い人々が経営者に意見を具申しても、「それって、本当に本当なのか? 責任は持てるのか?」と言われれば、何も言えなくなってしまうわけなのである。 

当たり前の話し、結果は理論を極限まで考え、詰めていっても保証されてはいないからである。

といっても、想定外の状況についてのバックアップ・プランまで検討して意見具申しているというのでもなく、単なる言いっぱなしでもあるから経営者に嫌がられる。

責任を取るのは社長、発言するのは自分たちといった甘えの構造は許されない。

「発言する以上、その発言には責任を持て」と言われても、そんなことは現実に出来るわけも無いわけで、机上の空論と非難されるのは目にみえている。

であるならば、こんな場合、いったい何をどうしたらよいのだろうか?

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