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2006年10月 7日 (土)

運命の最後の曲がり角

運命学に関する解説も、最後の曲がり角に差しかかった。

役に立つことは面白くなく、面白いことは役には立たないという世のならいのとおり、面白い占いは娯楽として読むしかない。

要点をことごとく取り違えてしまう人々からすれば、アストラル・ツインから始まったこの解説は、永遠に運命学の解説と思い込んでしまうに違いない。

これは哲学の問題なのだが…。 運命学はサブ・テーマにしか過ぎない。

他人の言っている事や、権威に引きずられること無く、自由でいられるためには、最初に物事を正確に定義しておく必要がある。

定義の混乱した考えからは、混乱した行動しか出ず、行動が目的に合っていなければ、望む結果は得られない。

トゥワイライトミステリーは占術師である。 運命学者ではない…。

運命学が読めないというわけではなく、これはプロなら誰にでも読めるはずのものだが!

ただ、運命学はトゥワイライトミステリーの感性に合わないというだけである。

理由は2つある。

第一に、運命学はある種の宿命論である。

第二としては、昔ならば変えることの出来なかった事も、様々な方法である程度、結果を回避できる可能性も出てきている。

だからと言って、運命学は不必要だなどと言っているわけではない。 

その程度問題である。

人生に仕掛けられた時限爆弾を、幸運にも発見できたならば、その信管を抜いて爆発しないようにする必要は当然ある。 そうでないと不必要なリスクを負ってしまうことになる。

友人の経営コンサルタント達が、よく話題にすることだが、

「経営の才能は、生まれつきなのか?」

「生まれつきだとしても、学習することができるのか?」

もしも生まれつきであり、学習により習得することができないならば、コンサルには限界があり、部分的にしか受注は出来ないだろうという話しなのであるが!

彼らの大半は経験的にみれば、経営の才は生まれつきのものであり、学習することは出来ないという意見のようである。

実際、会社設立後3年以内に、アバウトに言うと、その半数の企業が倒産か廃業しているとの事だ。

だから、一部の儲けられる企業家と大多数の儲けることの出来ない企業家ができてしまうようである。

仮に、その経営者が暴走を始めてしまったら、誰がこれを止めることができるのだろうか?

暴走を止めることの出来る人物は、暴走を起こしたその経営者本人しかいない!

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